SSブログ

映画「ディア・ピョンヤン」と「北朝鮮で兄は死んだ」 [本の紹介・書評]

untitled.jpg
出版社: 七つ森書館 (2009/11)  1680円

以下は版元の紹介記事
 「帰還事業で北朝鮮に息子3人が渡った朝鮮総連幹部の家庭を描き、世界の映画祭で受賞したドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」。その監督梁英姫に対談の名手佐高信が聴く、「地上の楽園」と謳われた北朝鮮の知られざる内実。なぜ長兄は若くして死んだか、家族はいかに暮らしているか。」

 北朝鮮問題は自分には非常に重い問題である。拉致問題は国家間の交渉で解決するしかなく、現在のようにいたずらに緊張状態を維持して状況を膠着させる「家族会「救う会」のやり方と、日本政府の無策ぶりには全く同調できない。一方過去の戦争責任の問題も大きく横たわっている。これらの解決のためには、小泉がやったように、鳩山(もしくは外務大臣などのトップクラス)が平壌に行く以外、現状打開の道はない。

だいたいこの問題では無責任なアジテーションが多すぎる。北朝鮮は崩壊する、金政権は危機だ、と何回聞いたことか。ビルマ軍事独裁政権が中国・インドに支えられているように、この国も中国という後ろ盾がある限りそう簡単には崩壊なんかしない。時間だけがいたずらに過ぎて、被害者も家族もどんどん年をとっていく。

一方で北朝鮮の人権抑圧状況はかなりひどい。日朝国交正常化は果たされるべきだが、国交を結んでもすぐに自由に行き来できたり、自由な民衆交流が可能になるとは思えない。だが、それを目指して一歩でも進むべきだろう。この人権問題で比較的公平にものを言っていそうなのはアムネスティインターナショナルくらいではないか。この問題を思うとき強い矛盾感に悩まされる。

今、総連の活動家は何を考えているのか。彼らは今、帰国事業についてどう総括しているのか。自分の息子たちを北朝鮮に送ってしまった家族は本当に後悔していないのか。素顔の平壌市民はどんな生活をしているのだろうか。そんなことがわかるのが映画「ディア・ピョンヤン」であり、その監督、梁 英姫(ヤン ヨンヒ)と佐高 信(サタカ マコト)の対談を載せた「北朝鮮で兄は死んだ」である。「ディア・ピョンヤン」はもし近くのレンタル店になければDMMなど郵送レンタルを扱っているお店で借りることができる。

映画の中でヨンヒの父親は(総連の熱心な活動家。梁石日や金時鐘を弾圧したこともあるそうだ)ヨンヒの問いに答えて、「息子3人とも送らなくても良かった」とぽつんとつぶやく。クラシックが大好きだった長兄は北朝鮮に帰国後、その音楽を封殺された。死ぬほどつらい目に遭いながらも、もう日本に戻ることはかなわなかった。その後クラシックのみは解禁になったが、彼が早死にすることの遠因にこの国の状況がありそうにも思う。

最後にヨンヒの後書きを抜粋して掲載する。なお、本人は現在この映画を作ったために、北朝鮮への再入国を認められていない。(謝罪文を書けばいいらしいが本人は拒否している)
 
 本の後書きから

「一七歳のころから数年おきにピョンヤンを訪ねながら、兄たちとの空白の時間を埋めるように再会を重ねた。限られた「面会時間」のなかで、まるで遠距離恋愛の恋人と会ったときのように夜通しおしゃべりをした。次男のコナ兄、三男のコンミン兄とは日に日に距離が近くなるのを感じた。ただ長男のコノ兄と私のあいだには、兄の躁鬱病を知るほどにお互い『ワレモノ』に触るような遠慮が生まれた。そしてその遠慮を埋められないままコノ兄は死んでしまった。
 人はどこかで生まれてどこかで死ぬ。生まれる場所は選べなくても、生まれたあと生きて行く場所を選び、その人生の最後の舞台となった場所で死ぬ。大阪で生まれたコノ兄はピョンヤンで死んだ。家族と暮らしていたピョンヤン市内のアパートから郊外の墓地に引っ越した。

 でも私にはコノ兄がオトナシクその墓で眠っているように思えない。やっと自由になれたコノ兄は、雲に乗って世界中のコンサートホールを巡りながら、愛するクラシック音楽を楽しんでいるはずだ。数日前にサントリーホールの前を通った私は、思わず空を見上げまっ白な雲に向かって微笑みかけてしまった。ベルリンに行ったら、映画祭会場から近いベルリン・フィルのコンサートホールを覗いてみよう。コノ兄がカフェでコーヒーを飲みながら私を迎えてくれそうな気がする。奮発してS席のチケットを買って、コノ兄の写真をもって音楽を聴こう。コノ兄はいうだろう、「ヨンヒ、やっぱりカラヤンが生きてたときに来たかったな〜」。音楽のあとはコノ兄と、ベルリンの壁の跡をスキップしよう。

 北朝鮮への入国が禁止されている私は、コノ兄の墓参りにも行けない。腹立たしさも越えて無念としかいいようがない。近い将来、『あのときさ、家族の話を映画にしたからって入国禁止になったりしたよね。謝罪文なんか書けっていわれたんだよね』と、笑って語れるときがくるだろう。もしかするとそのとき、兄たちと私は白髪の爺さん婆さんになっているのだろうか。何歳であっても、そんな「過去」は元気に笑い飛ばしたいものだ。」


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0