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9/10三多摩反弾圧集会 志田陽子氏講演「表現の自由と共存社会」 [その他の闘争日誌]

9/10三多摩反弾圧集会 志田陽子氏講演「表現の自由と共存社会」の講演内容をほとんどテープ起こししてくれた方がいますので、ここに掲載します。
「表現の自由と共存社会」①
<芸術は、紛争の平和的解決に大きな影響を与える>
 今は、多くの国々の人々が暮らす共存社会であり、そこでは、法や対話による解決が必要であり、それは、日本の先の戦争をみても、力による解決がどのような結果になるかは証明済みで、暴力の応酬は続き終わらない。だから、ひとつの国の中でも、国同士の間でも、平和的解決のルールが法で、それにより平和を守ろうとしている。
 
 感情的に、法なんか守ってる場合じゃない、相手をやっつけてしまわないといけない、と相手の人権を侵害してしまい、相手が自分を護ろうと暴力で応じるという状況に陥る。そうなってはダメだけど、今は、メディアがもうかるからと、そういうことにうっかり乗っかっていて、私たちが巻き込まれないようにしないといけない。
芸術というのは、そこにかなりの影響力を持つ。例えばスペインのゴヤ。フランス革命の余波でスペイン解放という名目でスペインに攻め入ってきたとき、表向きはフランスは民主主義の理念を持って、スペインへ入り、王政の圧政から民衆を解放したという大ざっぱなドラマが語られるが、ゴヤは実際に何が起きたかをつぶさに見、解放が行われる以前にどん底の貧困があったことをスケッチ画に残し、解放の名の下に多くの略奪や虐殺があったことを絵に描いた。それは、見て気持ちの良い絵ではなく、むしろ、見ていて苦しくなるような絵やぞっとする絵がたくさんあるけど、人間社会の暴力的な一面を教えてくれる重要なことなので、ゴヤの絵は最高の絵として世界中から評価されている。
そういったものがあることで、ここに陥らないようにしようと教えてくれる。現実にそれを知る必要はなく、現実に空爆を体験し分かったときにはおしまいになる。そこにいかないために考えるきっかけを与えてくれる。時には残酷で不快なことがあるかもしれないけど、それが大切なもの。表現の自由は、時に、大切なものだからこそ不快に感じることもある。単なる不快感で自由をせき止めてはいけないというのが大事な原則。 人の権利を侵害したり、ヘイトスピーチのように平穏で平等な暮らしを破壊してしまう、差別を含んだ相手を排撃するようなものは限界を超えており法律で規制する方向にきている。人権を侵害するようものは被害者がいるので、表現の自由のほうをとめないといけない。表現の自由は、誰かを不快にさせるものであるので(例えば、平和的に穏やかに話しても、お花畑みたいな話し方が気にくわない、など)、人権侵害するものでなく不快にさせるという理由で表現の自由を塞いではいけないというのは大事なこと。
「表現の自由と共存社会」②
<表現の自由-国家からの自由>
 表現の自由の、もともとの出発点は国家からの自由。一般人同士では、「やめて」ということで、自分たちの話し合いで解決する。表現の自由のルールは国家からの自由、そして自治体など公権力からの自由。公権力が関与してくるのを断る自由。
 例えば、市民が行う自由な講演会で、今は、表現の自由というテーマはやめてほしい、ということがあれば、それはやってはいけない関与で、暴力的なことでもなく、誰かの権利侵害を行っているわけでもないので、表現の自由を侵害できない。
 でも、表現の自由は、それだけでは足りなくなってきた。文化や芸術など価値のあるものを、国民に提供しよう、精神的豊かさを支援するためにお金がかからない実現しようというとき、国が支援をする。例えば、個人で音楽ホールや博物館を建てることはよほどお金がないとできないから、国が支援する。例えば、お金であったり、良い場所を安く、もしくは無料で使用させるなど、そういう関与は、多くの国が行っており、これは国の支援を拒否するのではなく受け入れる。
 この二つの場面を分けて考えることが大切。
 検閲とは、もともと国家からの自由をいうときのルールだった。例えば、戦中は、ラジオでの放送、本の出版、社会に広く表現を出すとき検閲をうけなければならなかった。良いものは許可、問題があるものは修正して許可、ダメなときは不許可という処分をしていた。国家の側に都合の良いものしか社会に出せなくなる。ここに問題があるという報道はできない。軍隊の中でのイジメ、自殺があったことも出せなかった。社会が問題を知ることができなかった。
 そういうことを引き起こさないように、社会が情報共有や意見交換をしながら民主主義の社会を創っていくために、国が間に立って情報をふさいではいけないということで検閲は禁止されるようになった。
 これは自発的な個人の表現の自由に対して、国家や公権力が間に入ってチェックを入れないこと、というイメージ。文化・芸術の面では検閲というのは考えにくい、と今までの考え方だった。
「表現の自由と共存社会」③
<検閲が社会に及ぼしたもの-自粛・萎縮>
 文化芸術支援の話は、あいちトリエンナーレの件があり今後重要な議論になってくる。
 検閲とは何だったのか、戦前・戦中に検閲によって社会にどんな弊害があったのか、もう一度確認して、最高裁がとっている狭い検閲の定義を一度解放し、何が国がやってはいけないことなのかというのを考えなくてはいけない。現在、見解が分かれているが、自由に議論することができる。検閲という言葉をもう一度議論しようよ、ということは禁じられていない。表現の自由があることは重要。
 
 美術展ではなく、一般市民の表現活動でもあり得る。例えば、ビラの投函の場合、ここに一般の人にも知って欲しいとビラを作る表現者がいて、ポストに投函することで伝えることができる。捨てる人もいるかもしれないけど、もしかしたら読んでくれる人もいるいう希望を持ち、ポストに入れさせてもらわないと始まらない。ポストがふさがれると、届かない。このビラをいらないと思った人は捨てる自由がある。表現者からビラを送られて見ることを強制されるわけではない。そこには自由がある。でも、ポストに入れられるだけでプライヴァシーの侵害だと送り手を刑事罰で有罪にしてしまうのは、あまりにもバランスを欠いている。立川反戦ビラ事件。プライヴァシーがあるにしても見なければいいだけなのに、あまりにもプライヴァシーを口実に表現の自由をふさぐことをあまりにも露骨にやってしまった。日本の言論環境は危険な状態にきていると思った。
 公職選挙法で日本では禁止されている戸別訪問。自分たちの政策が、テレビにのせるほど大きく宣伝するお金はない、だから、草の根運動でいろんなおうちを個別に訪ねていって説明させてほしいとお願いする。アメリカでは普通に行われている。バラク・オバマは、初めて黒人として大統領として当選したときに、黒人への偏見を持っている人たちに対して戸別訪問をたくさん行った。黒人に政策を考えるなんて無理という偏見を持っている人たちに、オバマ候補はここまで考えている、この問題についてはこういう政策を持っているということをたくさんの資料を持って有権者の家をたたいて戸別訪問し、それはすごいねと言ってもらえるほど頑張った。戸別訪問が大きな影響力を持ったが、日本では禁止されている。おうちの中にいる人と、政治、社会問題について話したいけど、テレビを利用できるお金はないので、別のところにお金を使いたいと思っている候補者に遮断が起きている状態が起きている。 
そういった遮断を、一足飛びに検閲ということは今の憲法理論上無理だが、第2次世界大戦中、検閲というものが社会にどのように作用していたか、どういう風に思考停止に導いてしまったか、というところを見ておきたい。
 芸術へのコントロールと一緒に進んだ。同じコインの表と裏のように同時進行で進んだ。まず事実情報の報道、例えば、空襲があった、被害がこのくらいで、震災孤児が出て、この情報を出さないと子どもたちがこのまま死んでしまうかもしれないという状況にあっても、そういう報道は行われなかった。お天気の報道も軍事情報だとされ報道されなかった。そういう事実情報を検閲で規制した。でも、調べてみると、全部を検閲していたわけではなかった。本当にごく一部をピンポイント的に検閲した。そうすると、新聞では新聞の業界、雑誌なら雑誌の業界の人たちが、その話を共有した。そして、検閲に引っかかったという情報を聞いて自粛してしまった。なぜなら、自分たちが苦労して作った記事が無駄になる、無駄な努力はしたくないので、この情報が検閲に引っかかったのならうちもやめておこうと先回りしてどんどん自粛していった。この萎縮がものすごかったというのが実態だったと言われている。
「表現の自由と共存社会」④
<一つの解釈しか許されなかった芸術>
 写真報道も全く行われなくなったが、法律にはない。写真報道はダメだというのは検閲にはなかった項目だが、新聞社が自粛したのか、それとも記録に残らない形で写真報道はやめろと誰かの一言で忖度する空気が生まれたのか、専門家の研究でも明らかになっていない。一般にとっては、今どうなっているのか判断材料がないので、考える材料がないなかで考えることができない、しかし、勝つまでは頑張ろうねという状態だったので、それにのっかるしかない状況だった。
 
 さらに、事実情報がないところを芸術家が埋めた。当時の日本で起きたく爆破は写真報道がなかった。今のシリアで起きた空爆等を見たら、爆弾がこうやって落ちてきて破裂し、建物は壊れ、人間は小指の先の大きさしかないなというのが分かれば、逃げるしかない、逃げて生き延びるしかないというのは誰でも分かる。75年前の日本では、「逃げてはダメ」と法律で決めてしまった。防空壕を掘り皆で非難しなさい、火事はバケツリレーで消しなさい、敵国が攻めてきたら竹槍で応戦するんだ、今の空爆の写真を見たらそれが如何にナンセンスかわかる。防空壕もがれきに埋まって死ぬ、そういう情報を日本人はふさがれていた代わりに、軍に依頼され画家たちは、外地へ行く兵隊さんはこんなに頑張っていますという絵を描いていた。写真に撮ると、外国の性能が良さそうな戦闘機が飛んでいるとか、戦車のすごいのが見えたり、ここで勇ましく進んでいる人はいるけれど、戦闘でなくなった人は少なく、ほとんど餓死・病死・自殺だったというなので、写真に撮ってしまうとそういう倒れている人たちが累々と写ってしまうかもしれない。画家にそこは書くなと言った。死体の顔は外国人風の顔、日本人は必ず勇ましい顔に描くよう決められていた、。藤田嗣治の「アッツ島の玉砕」という絵。皆死んでいるが数人生きていてまだ闘うぞという意思をみなぎらせてる。闘う意思を見せているのは日本人の顔、死んでいる人の顔は外国人風の顔、そういう風に描く約束だった。でも、たくさん死んでいる人たちが描かれる絵を見て、いろんな感じ方ができたんじゃないかと思う。でも、当時は解釈は一つに決められていた。そして、国の支援で大々的に公開された。作家の藤田嗣治も軍服のコスプレを行い、見に来た人に挨拶した。「貴い犠牲を無駄にせず勝つまでは皆一丸となり頑張りましょう」そういう解釈しかなかった。
「表現の自由と共存社会」⑤
<本来あるべき芸術と国が内容に干渉しないルール>
 本来、芸術は解釈の自由、解釈の多様性が大事で、国が解釈を一つに決めると言うことはやるべきではない。今の芸術鑑賞は、解釈を決めることはしない、このように人が死んでいる状況は嫌だという人もいれば、この筆力、芸術としての迫力はすごいと観る人もいる。そこは、見る人に任せるというのが今の芸術の大事なルール。
 ドイツでも同じように芸術が利用されていた。映像作家でドラマチックに人間を描く映像美を作り出した人がいた。これだけ見るとギリシャ彫刻のように見事な写真だったが、当時、ドイツでは、ドイツ民族はこのように健康ですばらしい、これに対してユダヤ人はやせっぽちで不健康で退廃的で乱れた暮らしをしている人だから、社会から追い出してもいいし、同じ人間として見なくていい、最終殺してもいいというように、この作品がドイツ人を誘導するように使われてしまった。それがなければ、この写真1枚でいろんな見方ができるはずだった。ナチスドイツに協力したと言うことで戦後、作家として評価されることなくひっそりなくなった。
 ドイツは、そのことを反省し、芸術の自由が憲法の中に入っている。それは反省して初めて入れられたのではなく、もっと前から芸術の自由が憲法にあったが、ナチス憲法の時代には国家が芸術支援をすると書いていた。ところが、国が芸術支援しますと書いたら、ナチスは支援の名の下に相当のコントロールをした、芸術への感動をえさに人々の心を誘導しひどい虐殺を野放しにしてしまったことを反省し、国家が支援するという文言を削った。学術・芸術は自由だとした。この意味は、学問・芸術は国からは自由、国の手綱のもとにやるのではない。学問は学問で、芸術は芸術で良いものを追求するとした。その後、支援をするようになったが、お金を出しても内容には干渉しないというルールができていった。それは、ナチスの時代、内容に干渉してしまったことを反省したから。
 日本でも歌を統制したり、戦中は哀愁味のある歌は禁止され、勇ましい軍歌しか歌ってはいけないとされた。そういうことが行われていたのでドイツ同様反省すべきだったが、新聞などへの統制があからさまだったので、新聞の検閲はしないという方向にいき、芸術への統制せずに支援するという考え方は伝わっていない。ドイツ、イギリス、フランス、アメリカがどうやってきたかを日本かこれから学ばなければならない。
日本がきちんと学んだら、今回のあいちトリエンナーレの事件は起きなかったのではないかと思う。
 「表現の自由と共存社会」⑥
<平和の構築-暴力を許さない国際世論が抑止力>
 平和の構築について。国際世論によって平和を創り出すということは、とても大事なこと。例えば、国内でひどい紛争が起きている、あるいは国同士で戦争になってしまった。違法な戦争をしかけた側は、後になって戦争犯罪に問われ、大変な責任を問われるのでできない。国際社会がそこをしっかり見ているよ、ということをはっきりさせれば、少なくともあからさまな侵略はどの国もやれなくなっていくはず。だけど、みなが無関心になると、無関心に乗じてそのようなことが起きる。どのような指導者も国際世論を無視できないという社会を創る必要がある。つまり、私たちが上から行動を監視されプライヴァシーがないという監視社会ではなく、逆向き、それぞれの国が人権を守り、平和に解決をするというルールを守っているかということをお互いしっかり見る。そこで暴力的な解決をしようとしたり、侵略をするような国があれば、世界は許しませんよという社会を創る、ウォッチングをお互いしあう社会が大切。無関心がこれを壊してしまうから、無関心であってはいけない。なので、表現、情報や意見交換がいつでも流通する社会が日本国内でも国際的にも大切である。
 世界が実情を知ることが暴力の抑止、暴力をくい止める力になるということは、これまでもたくさんの例がみられる。
 紹介したい映画がある。
 「遠い夜明け」、南アフリカのアパルトヘイトがどんなひどいものかを、白人の警官が黒人を面白半分にいじめる、少しでも逆らうとか批判的なことを言えば暴力的に扱う、それがひどすぎる。犯罪の濡れ衣をきせ逮捕し、刑務所内で亡くなった方があまりに多すぎる。公式発表は、自らハンガーストライキで死んだとか、階段から落ちたとかいうが恐らくそうではないという状態。この状態を手記に書いた人がいる。南アフリカの新聞記者。しかし、南アフリカではとても出版できないので、国外に脱出しようとするが、それが大変難しかった。それが一つのドラマで、それを描いた映画。その映画に描かれている状態、それが記者が書いた手記で、国外脱出できたから海外で出版することができた。ドキュメンタリー映画が作れたら理想だが、そういう状況でカメラをかつぎ写真を撮り、映像を撮れるかと言えばそれはとても無理なので、証言という価値をもつ手記をもとに映画作家が後から俳優を使い映画を作っている。後から作っているものではあるけれど、この社会の真実を知らせてくれたもので、日本の参議院でも参考上映され、イギリスをはじめ多くの国で人々に見られ、経済制裁しなければいけないのではないか、少なくともこの差別を国際社会は容認しないという声明などを出すべきではないかと議論された。そのおかげで、南アフリカは国際世論を無視できない、民主化しなければいけないし、人種の平等を進めないと国際社会から孤立するというプレッシャーをかけられ、今の南アフリカは制度を変え人種の対立を乗り越えようとしている。
「良き人のためのソナタ」1980年代の東ドイツでどれだけの監視社会が起きていたかという実話。
「ホテル・ルワンダ」ルワンダで起きた虐殺事件、この事件が起きた当時、報道関係者もここにいては危険だとみな逃げ出していくし、映画で描かれているが、ひとつのホテルに避難してきた人がいる。その人たちもいつまで命があるかわからないという危機的な状態だった。その状態をリアルタイムで記録にとるのは、ほとんど無理だった。後から、そのホテルの支配人だった人の手記をもとにして映画を作っている。これも、ある民族紛争がどれだけ理不尽で、大規模なものかがわかる映画。特に、ヘイトスピーチに学ばせられることが多い。それぞれの民族がそれぞれのラジオ局を持ってて、ラジオ局で相手の民族をゴキブリや虫にたとえ、ゴキブリがあの道のあの角に集まっている、駆除しましょうとラジオでアナウンサーが言うと、本当にそこで虐殺が起きてしまうということがあった。
 アフリカやヨーロッパでヘイトスピーチを深刻にとらえて、はっきりと処罰対象にしているのはそういう歴史があったから。日本でも、そういう歴史がどうやらあったが、それは戦前なので戦後の日本社会ではなかったからいいのではないかという人もいるが、戦前に虐殺というのが関東大震災後にあったことを考えると、日本もそういうことと無縁ではないのだから、そういう経験からヘイトスピーチ規制をもっとリアルに考えたらという議論もある。しかし、今、日本では、その歴史を直視しない動きが出てきてしまった。憂慮を感じる。歴史上何があったかということは、学問の重要な仕事だが、その学問の仕事が政治の都合でふさがれるということは、本来あってはならない。むしろ、学問、歴史学者が研究を重ね、どうやらこういうことがあったと、証拠や証言に多少の抜けがあるにしても、専門家の推理を補って考えたときにこれが事実だろういうことを積み重ね、学術の世界で共有していったならば、政治の側はそれを受け止めて、じゃぁどうすればいいのか、ということを考えるべき。政治の側は、その学説を出してもらっては困る、その学説を出す人は退場、言論世界から出て行ってくださいというのは、学術に対して不誠実なことが政治の側から行われているということになる。日本の場合、これがいろいろあることが大変な問題。
「表現の自由と共存社会」⑦
<芸術への国・公的支援と政治的中立>
 表現の場、芸術祭の場があって、あいちトリエンナーレなど表現ができる、映画も、公民館も、場が如何に大事かということが問い直されなければいけない。
 あいちトリエンナーレは、芸術支援をするかしないかという話題のはずなのに、一般社会の表現としていかがなものかという話にずれこんでしまい、公民館などが映画上映やめとこうか、あいちトリエンナーレで芸術監督を務めた津田大介さんが登壇するシンポジウムが、安全が確保できないという理由で次々と中止される。本当に脅迫や脅しがあったかといえばないようで、あいちでそれがあったからうちで起きるかもという不安感で中止されている。これを萎縮というが、この萎縮の連鎖により、表現の自由が成立するための精神的環境の場がどんどんしぼんでいってしまっているのが見える。芸術支援の問題だったはずで、公民館がそれによって萎縮するのは筋違い。公民館が民間人に実費の支援をくれるわけではなく、自腹でやってください、場所は貸しますよということで、公民館のほうは、行われているテーマについて支援しているわけではない。ところが、最近の公民館は、市の後援を条件にするところが増えている。市の後援を受けることを条件にするルールが憲法違反である。本来、公民館は、あるイベントをやったからといって市が後援していることにはならない、場所を貸しているだけ。それが本来の中立ルール。良いものもあるし、ある人から見ればいまいちのものもあるけど、その内容選別を公民館や市の職員はしない、ということ。ところが、後援をするというルールを作ると変な口実ができてしまう。ここでの集会や映画上映を許可すると市が後援した意味合いが出る、この市の政治的中立性が守れないのでやめてほしいという理由になる。そもそも後援という紐付けをしなければいい話。後援という紐付けをすることは、憲法で言う表現の自由の受け皿として公民館があるという仕組みからすると間違っている。 今、表現の場が狭まっている、市民にとってやりにくいことが起きているというのが現実。
昔、「ヤスクニ」 という中国の映像作家がいらっしゃって、国の芸術支援、お金の支援を受けてドキュメンタリー映画を製作している。それに対して、議員が問題視する発言をした。国の支援、税金で作った作品だと言うけど、支援をうけた人は日本人ではない。そして、靖国神社について批判している。こういうことに国がお金を出すのはいかがなものか、という発言が当時あった。この映画をやめろと言ったわけではなく、いかがなものかと言っただけだが、一般人がこれで騒いだ。これを上映する予定でいた映画館が嫌がらせを恐れて次々と上映を中止にしてしまった。映画は映画館が上映を引き受けてくれなければ観客に伝えることはできない。
 今回、あいちトリエンナーレ事件で問題となった天皇コラージュの絵画。これはずいぶん前、1980年代に一度問題になっている。富山県立美術館がこれを買い、展示しようとしたところ、ある議員が天皇の肖像と曼荼羅えんの仏さんだけど、火が燃えているように見えるのは、曼荼羅園の仏さんが背負ってる炎だが、これが物騒な組み合わせに見えた人がいる。もう一つは原爆のきのこ雲と天皇の肖像がコラージュになっている。これは、天皇を冒涜している、いかがなものかという議員の発言があった。作者にとったら内面の自画像、自分の内面をつきつめたとき、自分の内側に内なる天皇というものがいて、第2次世界大戦の記憶もある。平安時代の女性のイメージがふっと出てきたり、やくざさんの入れ墨をした背中もある。自分の中にある日本、自分の内面にある日本というのは、そういうものが混沌として組み合わさったようなものだということを描いているんだということだった。天皇を侮辱しているわけではないと一貫して言っているが、一部の議員は天皇を侮辱しているように思った。美術館はその展示の記録も焼却処分にしてしまい、この絵も美術館にはおかないということで一般の人に売却してしまった。この作家の大浦さんは、そういう風に自分の絵が理不尽な扱いを受けた、嫌われるような扱いを受けたことに非常に心を痛めて、一度、写真のフィルムに収めて、これがそういう出来事によって浸食されダメになっていって、その自分の心が痛んでいくという感覚がこの絵が燃えていくという表現にした。ところが、それがあいちトリエンナーレで上演されたとき、また誤解されて天皇の肖像を燃やすとは何事か、となった。なにをっても、天皇を侮辱するけしからんやつというレッテルを貼りたい人にはそういう風にしか理解されないという状態が起きてしまっている。このことも一度裁判になっている。裁判の詳細はおいといて、そういう時、美術館は板挟みになってしまう。議員さんの発言や右翼の嫌がらせなどに美術館が板挟みになって、中止判断をしてしまうことが、実は、今までにあったんだなということ。
 今までは美術館という特殊な場であって、一般市民の表現の自由にあまり関係のない話だった。でも、あいちトリエンナーレ事件では、「平和の少女像」などについて、議員から、ああいうのは表現の自由を逸脱している、だからうちの県では、同じ企画がたったらやりませんという。うちの県では、文化芸術支援というお金は出したくないなとある県知事さんが思ったとして、うちで支援のお金を出したくないということと、これは表現の自由を逸脱しているということは全然別物。表現の自由からみたら、何の問題もない。刑法のわいせつや、名誉毀損にもなっていないしプライヴァシー侵害にもなっていない。表現の自由で認められなというのは全くの間違い。しかし、そういう間違い発言が出てきた、この当たりから一般人が一般人の世界でも、これはまずい表現なのか、やってはいけない表現なのか、そういう萎縮が始まってしまったのではないか。少なくとも茅ヶ崎の公民館が従軍慰安婦の映画の上映を市民がしたいと言ってきたことに対し、いろんな苦情が出たのでやめましょうということで、中止してしまった。そこには、そういう混同、支援はしませんよという話なのに、こういう表現ダメですよという市民の自発的な表現までふさぐという方向に来てしまったのではないか。これは、どこかでこの悪い流れを止めないと、日本の言論の環境が非常に息苦しいものに、すでになっている。
「表現の自由と共存社会」⑧
<政治やメディアの煽り報道に巻き込まれず、市民は共存社会を創りだすこと>
 これをひとつの教訓にしないといけない。例えば、この「平和の少女像」はいろんな解釈ができるはず。お岩さんでよく例えるが、四谷怪談のお岩さんが出てきたら、みんなキャー、怖いと思う。けど、江戸時代の逸話などを寄せ集めると、お岩さんのモデルになった女性がいて、不幸にして夫に裏切られるが、人のいい優し人だったが、女性が顔に傷を受けて死んでしまうと、たいていは気味が悪いもの、この世を恨んでいるに違いないものと思われるため、お岩さんの顔はどんどん恐ろしげなものになっていった。もしかして、現実のお岩さんがここから出てきたら、普通の女性かもしれない。だんなに浮気され、邪魔者にされ、非業の死を遂げたけど、だんなの悪巧みで顔が焼けただれたのであって、被害者だった。その被害、みんなで供養してあげようよ、と今、お岩さんが出てきたらそういうべきだと思う。だけど、四谷怪談のお岩さんのイメージが定着しているので、キャー怖い、水の中に引っ込めとみんなでたたきまくるかもしれない。これをやってはいけない。
 「慰安婦像」に対しては、そのような反応が起きたのではないかと思う。いろんな解釈ができる。作者がつけたタイトルは「平和の少女像」 で、過去に何かがあったかもしれないけど、この像を見て、これからの平和を願う、そういうモニュメントにしたいという思いがこもっているそう。でも、日本人がこの像を見たときには、あの従軍慰安婦問題をまた蒸し返すのか、という苛立ち、あるいは、お岩さんが出てきたときにうわーと叩く反応がでてきてしまい、そういう抗議行動を生んでしまったよう。これが、今度は、韓国人は半日だ、韓国人は悪口を言っていいんだというマスコミの論調にどうやら火をつけてしまった。政治家の発言も火付け役になってしまった。そういう危ない状況に陥ってしまった。日本社会全体が巻き込まれたら非常に危険。だから、一度自分の心を引き離して、そのためにこそ、こういう芸術の空間がある。政治やマスコミの世界は、煽る方向にいっていて、大変騒がしい落ち着かない状況になっているときに、芸術を鑑賞する場というのは、そこから一回離れて、静かな気持ちでこれを見たとき、本当にそうなんだろうか、私ならどう解釈するだろうか、と、この像と共に静かに自分の心の声を聞く、ということができるようになっていくと、こっち日本、そっち韓国という一方的な図式に巻き込まれずに、りんごはりんごで生き方があり、オレンジはオレンジで生き方があり、それぞれで同じテーブルで一緒に生きていけるじゃないか、そういう共存の社会の感覚をもう一度、取り戻せるのではないか、取り戻すと言うより一般人はこっちだと思う。文化交流もやってる。ところが、今、メディアが発行部数を伸ばしたい、視聴率を稼ぎたいということで騒いでいるのだと思う。一般の社会にいる私たちは、そこに巻き込まれずに共存社会を見失わないようにしようと、最後に言いたい。

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