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10/11砂川闘争60周年現地集会 約180名の参加で大成功 [その他の闘争日誌]

なぜ砂川に私たちはこだわるか

よく誤解されるが、立川自衛隊監視テント村は72~73年の陸上自衛隊の立川への強行配備反対闘争の中から生まれた組織だ。砂川闘争とは直接の関連はない。砂川とは基地の滑走路北方、農村地帯である(今は農村も減少、住宅が増えている)。米軍基地時代にこの農村地域に強引に米軍が滑走路を延長しようとした。これへの反対運動が砂川闘争だ。
労農学の階級的な団結と非暴力不服従、徹底的な実力攻防戦で遂にその計画を断念させた日本の反基地闘争でも金字塔的な位置を占める闘いである。

...

米軍基地は返還されるが代わりに自衛隊が72年にやってきた。その前の60年代末三派全学連による第二次砂川闘争や70年代の反戦塹壕闘争を経て、その後のテント村の闘いがあった。砂川闘争とテント村が直接関連がなくても、米軍に続く自衛隊という暴力装置に向き合った点では同じだ。本日の集会決議では、その自衛隊基地にも反対という内容を盛り込んだ。

1950年代の第一次砂川闘争を闘った第1世代は多くが他界。砂川反対同盟も子孫にその志をなかなか引き継げず、今日に至る。第一次砂川闘争の中途半端な買収で、今も砂川は国有地民有地が複雑な境界線を描く。ほったらかしの国有地の雑草を刈り、農地防衛のために国有地を耕していったのが自主耕作の発端だ。

基地さえなければ、米軍が去った後自衛隊が来ず、他の用途に活用されていれば砂川、そして立川の町は今とはかなり違う姿になっただろう。地元の悩み、世代交代の悩み、それをも考えながら国有地に自主耕作・自主管理を行う。本日の集会も国有地で行ったが、国に許可など求めていない。国も手出しできないところなのだ。

もう一度実力闘争とは何か、砂川闘争の意義とは何か、考える必要があろう。昨今の国会闘争に参加してよけいそういう想いが強くなる。横田訴訟団の青山副団長(社民党昭島市議)もアピール、生活者ネットの稲橋さんらも砂川鍋やうどんの調理その他で活躍。また、レイクランド大の学生さん達も多数参加してくれて楽しかった。シールズばかりが意識ある学生なのではない。また同大のアメリカ人の教授も参加してアピールをしてくれた。韓国人の張さんも八方活躍した。とにかくいろんな人たちが来ていた。最大で恐らく180名くらいか。

大地に根を張り、地域の住民と深く結びつき、広く共闘網をも求め模索する。砂川はそういう運動をやる地だ。

写真は相磯まつ江さん(砂川事件弁護団 今年93歳!車椅子に乗りやはり弁護士の娘さんと参加)などです。

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