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新年小鹿野ツーリング 須崎旅館 [雑記帳]

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新春書き初めならぬ走り初めということで、1/3~4と秩父の小鹿野に行ってきました。バイクで町おこしなんてユニークなことを試みている小さな町です。今回も須崎旅館に世話になりました。食事とサービスは全く申し分のない宿です。利き酒セットまでついてしまう。

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この後、うどんと野菜の天ぷら、デザートが来ました。食材は地産地消で、地元で採れたものが中心。どれもおいしいです。

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快活な美人の若女将、真紀子さん。宿の歴史は古く、生糸買い付けの商人などを相手にするビジネス旅館として明治時代に開業しました。今でも当時の電話ボックスなどが残ります。この女将さんの代になってから、大竜寺源泉を汲んできて循環させる貸し切り露天風呂を作ったり、ネットの活用などビジネス面でいろいろな創意工夫をして人気が出てきました。前より休前日などすぐ予約入れないとあっさり満室になったりするのが難点((^_^;)。小鹿野に泊まるときにはぜひどうぞ。
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年末東北温泉旅行12/27~30(磐梯熱海) [雑記帳]

最後は磐梯熱海温泉。ここは咲花から磐越西線一本で行けますけど、年末にしては寂しい感じですね。郡山にも近く空間線量はややあります。0.22~0.23くらいになる場所も。0.23だと東京では除染基準というやつになってますね。駅前など舗装部分は割に低めなのですが・・。松柏という宿にお世話になりました。ここも部屋食でおいしかったです。ついでにいうと今回この落ち着いて食べられる部屋食というのも宿選択の基準でした。会場食はどうも落ち着きません。
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年末東北温泉旅行12/27~30(さきはな) [雑記帳]

翌28日は夏のツーリングでもお世話になりましたホテルさきはなへ。動画もございます。作品の出来はまあなんだな・・・(汗)。

http://youtu.be/pefdgnhzy9Q

ぶれてますね・・・。ここも食事は大変おいしくアットホームな接客で落ち着きます。また使うことになると思います。この辺の春と秋も見てみたいですね。川側の部屋は雄大な阿賀野川を見ることができます。
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年末東北温泉旅行12/27~30(土湯) [雑記帳]

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年末は再び雪国東北の温泉旅行などをしておりました。

12月27日は福島土湯温泉へ。原発事故で何軒も廃業する旅館がでた温泉です。現在も観光客が少なめで営業は大変なようです。ただ県庁などのあるあたりは線量が高く0.4~0.5μシーベルト。土湯へ向かうに従い線量は下がり、0.1μシーベルトかそれ以下。旅館の中は0.05とほとんど東京の低い場所並です。むしろ市内より安全なのですが。行きのバスの運転手さんは女性でした。きびきびと業務をさばいていました。
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旅館ははるみやさんにお世話になりました。隠れ家のような場所にありますが、二つある露天は早い者勝ちで30分くらい貸し切りにできます。食事も大変おいしく、いい宿でした。お勧め。
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東北ツーリングその5 [雑記帳]

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宮古市田老の「万里の長城」と呼ばれた防潮堤です。高さは10メートルあり、津波への対策としては鉄壁と思われていたのですが、3/11ではこの二重構造の防潮堤をあっさり乗り越え、集落は壊滅してしまいました。

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一方、さらに北の普代村の巨大な水門です。高さは15.5メートル。実に35億円もの巨額の建設費がかかっていますが、今回の津波を食い止めました。損傷は受けたようで工事中でした。

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漁港近くのやはり高さ15.5メートルの防潮堤です。これも津波を食い止めました。普代村では海の方へ様子を見に行ってしまった一人が津波にのまれて亡くなっていますが、周辺の沿岸地域の集落では格段に被害が小さいです。和村幸得という人が村長の時代、かつての昭和三陸津波でこの村で600人の死者を出したことを教訓として明治時代に来た津波が14~15メートルだったという説があることでこの高さにこだわったようです。建設当時は金の無駄使いとか、ここまでの高さが必要なのか、と批判を浴びたそうですが、頑として譲らなかったそうです。結果、今回この高さが有効になりました。この南の地域より津波は低かったのでは?という意見もあるようですが、実は津波は巨大水門の上を越えています。だがその威力を大きく減衰させ、居住地域に被害が及ばないようにしたことは確かなようです。

ただどこまでやっても災害に想定外はあり得ます。だから原発のように壊れたら最後、というものは絶対やめていただきたいですね。また最後は自分の判断、自分の危機管理が大切であろうと思います。ハザードマップを過信しすぎて、釜石でも大人は大勢犠牲になっています。防災の問題、原発事故の問題、東北を走るといろいろ考えさせられます。復興レベルも今回走って地域ごとの落差が大きくなってきたようです。支援で何ができるのか、考えたいです。


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